愛とあげパン

春の分際で最高気温28℃なんてアツい日に驚いていましたが、
もともとアツい沖縄では、ニュースまでアツかったようです。

▼<南星中>生徒会選挙公約のあげパン給食が実現(琉球新報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040423-00000010-ryu-oki

要は中学校の生徒会が「(給食で)あげパンを食べよう!」という公約を掲げ、
それを実現してしまったというニュース。

公約を実現したことはもちろんすごい。しかし、
それよりも「あげパンを食べよう!」を公約にした勇気を称えたい。

そんなにあげパンを食べたければ買えばいいし、
みんながあげパン食べたいって思ってるかどうかわからない。
そしてあげパンを食べたところで何のメリットがあるのかも不明です。
それよりも、あげパンの前にやることあるだろ?

あげパンを食べること事体はきっと、なんでもないようなことです。
でも、あげパンが求められる事情とか、
そこに立ちふさがった壁とか、それを解決していく過程とか、
実際にあげパンが給食に出たときの喜びとか、
そういうのってずっと大人になっても心に、体に、
生きかたに、響いていくんじゃないでしょうか。


どうでもいいことにものすごい力を注いでそれを実現する。
みんなが認めなくても、一人だけはその価値を擁護できる。

彼らにとってあげパンとはデザインであり、創造であり、愛であるのです。